10月7日。CVカテーテル手術
白血球はこの一週間で一時期11万まで上昇。この段階で中リスクから高リスクへ移行。
そうしてこの日は胸にカテーテル(以下CV)を入れる手術を受ける。
CVをいれ、太い血管近くに抗がん剤をいれなければ血管がもたないらしい。それだけ強い薬をまだ小さい子に…と思うとまた涙が止まらず。
浣腸をかけ朝昼絶食。10時以降は水のみokという厳しい制限あり。
手術開始が15:25で終了が16:35。
もうこの手術終わるまでが長くて、時計が全然進まない進まない。
娘の病状を知った友達がくれたお守りを握りしめて、必死に、何事もなく手術が終わることを祈る。
手術の際、全身麻酔をするんだけど、麻酔の説明を事前に受けたのね。
麻酔科の先生もちゃんと説明しなきゃいけないからもしもの話をするんだけど、ただでさえ確率の低い白血病になってるもんだからこういうのも引き当てちゃうんじゃないかってそれが怖かった。
またこの日からRSウイルスの症状が消えたということで病室からでていいと先生からのお達しがおりる。手術後、ベッドで様子を見ながら20時まで飲食不可。
手術も無事終わり、迎えにいくとそれまで泣いたりしなかった娘が半泣きで私を見つけた瞬間手を広げて伸ばしてきて……。
思わずぎゅっと抱きしめた。
こんな小さいからだでよく頑張った!!
この日が一番きつかった。実は家に残してきた息子(3)も発熱と嘔吐してて、もしかしたら息子ま
で…という悪い想像が止まらず、息子にも負担をかけていることがつらくて落ち込む。
結果、息子はインフルエンザだったんだけど、息子に対する罪悪感はこれかからも定期的に抱くことになる。
次の週からはいよいよ抗がん剤がスタート。
寛解(体内に薬を用いて白血病細胞が消失、減少している状態)を目指す治療がスタート。
オンコビンとダウノマイシンが週に一回。ロイナーゼが4回(この時は点滴から)プレドニンも入る。
それらがさ、真っ赤な液体なやつとかあって、ビビるビビる。
投与されたあとのおしっこ。真っ赤であせる。
先生的には一度血管通ったら、それでokなので通ったらあとは速攻体内から出るのが理想らしくおしっこの量も増える薬投与。
後は髄注。
別名ルンバールや骨髄窄刺とも呼ばれている治療なんだけど、この時は朝から絶食で背骨から直接薬を投与するという、想像するだけで痛い治療↓幸いなことに麻酔かけてやるので本人には気が付いてないのが救い。ただこれ、終わってから2時間は頭固定の体動かしちゃいけないやつなので付き添いの親は2時間経つまで起きないで、と切に願う。ちなみに起きて暴れそうな気配があると、追加の麻酔が投与されたりします。
いてくれてほんとホッとした。
ただやっぱり薬が強いのは強い。
治療の大まかな流れ
発症から維持治療と呼ばれる自宅にいながら、飲み薬をのむ治療に入るまで結構な道のりがあります。
ざっくり最短で、〇〇療法と呼ばれる療法が9回ほどあります。
血液系の病気で説明が難しいのが、このところで大まかに寛解導入療法と呼ばれるところまではざっくり同じ内容の治療なのですが、そこからリスク次第で、微妙に治療の薬の回数や中間維持と呼ばれる自宅にいながら治療をする期間も変わってきます。
リスクとはキメラ遺伝子検査の結果や発症した時の白血球。発症時の年齢などから導き出されるリスクのことです。
娘の場合、発症時1歳2か月だったので標準リスクで行けると思ったのですが、発症時の白血球がmax11万越えだったことで中間リスクからのスタート、治療はじめてからしばらくしてようやく結果がわかるキメラ遺伝子の結果が治りにくい方の遺伝子だったため高リスクへスライドしました。
薬の効果により、血液を作られることが抑制。抑制しながらじいと治療ができないんだけど、抑制が進行していくと輸血をしながら血液が回復してくるのをまたないというジレンマが発生。
(娘は入院期間中赤血球輸血を16回、血小板を15回の計31名の尊い善意のおかげで治療を続けることができました。ほんとうにありがとうございます。)
そして、各血球の中でも白血球は自力回復しか方法がないため、白血球を増やす薬を投与して血球が上がってくるのを待つ。
入院中は基本この抗がん剤などの治療薬投与→各血球数抑制→ギリギリのところで治療ストップ→各血球数増えてくるまで輸血などして待機。回復してきたところで治療再開。
スケジュールに合わせて体調よければ一時外泊も視野に入ってきます。
ちなみに娘の初外泊は、9月末に入院してから4カ月経った1月末のことでした。
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